Keyco
’99年に「SPIRAL SQUALL」アナログのみの限定発売で話題となり、北海道FM局NORTH WAVE[STREET FLAVOR]でリクエストチャート6ヶ月間1位の記録を出す。
その後メジャーデビューを果たし、現在までにオリジナルアルバム4作、コンセプトアルバム5作を発表。自らの持つ声の特質を巧みに使い分けるセンスは、日本の女性シンガー・シーンにおいて突出した個性を誇る。ニュー・ソウルをベースに活動しつつ、レゲエ、ヒップホップ、ファンク、ドラムン・ベース、ジャズ、ブロークン・ビーツなど、各シーンの一線で活躍するアーティストたちから厚い支持を受け、多数の名コラボレーションを実現。その幅広い活動歴は、まさに彼女の存在感が類稀な力を持つことの証と言えるだろう。最近では海外アーティストからのオファーを受けるなど、その揺るぎないオリジナリティを国内外問わず認められるシンガーに成長してきている。
‘02年に長女を出産。それ以来、よりシンプルで愛の籠ったメッセージと、それを乗せる最新型ソウル・ミュージックを探求中。
’04年から多数のクラブ・ミュージック型バンドで構成されたクルー『nbsa+×÷』での活動、’05年からはPort:scapeのメンバーで構成された初のオリジナル・バンド(現在『鼓響』という名で活動中)でのライブ展開、‘06年にはLIBROとのエレクトロニカ・ユニット『Fuuri』でのアルバム・リリース、’05年から’09年にかけて近年深まりつつあるHIFANA&ZAMURAI とのコラボレーションなど、生音とデジタルの融合を意識しつつ、あくまでも今の新しい音を求める姿勢で活動の幅を拡大中。
また最近ではイラストの出展、ジュエリーデザインを手掛けるなど、マルチなアーティストとしての活動を始動。
黒崎ジュンコ
Biography
2000年 ズボンドズボン
加入。バンド活動を始める。自主制作アルバム「ズボンドズボン」を発売。
2001年 スカイパーフェクTV「ニューカマーズライブ」にレギュラー出演。ホストバンドを務める。ミニアルバム「skirt」発売。
2003年 ミニアルバム「Lowrise」発売。初のワンマンライブを行う。 同年、原川マコト、江部和幸と共に、メイトリアーク
を結成する。(Matriarch-メイトリアーク-とは英語で女族長の意味。)関東近郊を中心にライブ活動を始める。
2004年 唄人羽、ザ・ベイビースターズとともに「三種の仁義なき戦いツアー」をスタート。初の大阪上陸。初のワンマンツアー「十人トイレ」敢行。12月1stフルアルバム「LONG SKIRT」発売。
2005年 2ndフルアルバム「扉」発売。オリコンインディーズチャート1位を獲得。リリースツアー「扉~IN&OUT ツアー~」で初めて福岡に上陸。同年、メイトリアーク初の音源・自主制作CD「メイトリアーク」を発売する。
2006年 5月、初の日比谷野外大音楽堂でのワンマンライブを行う。
2007年 3rdミニアルバム「JOY」発売。リリースツアー「JOY TOUR」で、仙台、京都、広島にも上陸。全7カ所10公演を行う。この時の恵比寿LIQUIDROOM公演は、初の映像作品『JOY-DVD』として発売。 同年、2つのバンド活動を続けながら得た沢山の音楽仲間たちともっと音楽したい、という欲求から、毎回バンドメンバーが異なる“junkoバンド”をスタート。
2008年 2年ぶりとなる、日比谷野外大音楽堂でのワンマンライブを大雨の中行う。10月からズボンドズボン主催の2マン・マンスリーライブ「毎月のアレ 2008~2009」を渋谷クアトロで開始。 ROCK’A’TRENCH、flumpool、THEイナズマ戦隊、カラーボトル、鶴、UNISON SQUARE GARDENと共演。
2009年 2月、メイトリアークで初の大阪上陸を果たす。 12月、江原啓之「スピリチュアル・ギフト~幸せのみつけかた~江原啓之LIVE」@代々木第一体育館にコーラスとして参加。
2010年 6月、堂本光一 ベストアルバム「BPM」“No More”にコーラスとして参加。 2010年8月~9月、江原啓之「おとたま、ことたまLIVE2010」全11公演にコーラスとして参加。パーカッション演奏も行う。
2011年 ズボンドズボンの活動休止を発表。活動休止前のツアーとなる「花粉症ツアー」を3月心斎橋Janusを皮切りにスタート。大阪・名古屋を回り、東京は3/31@代官山UNIT、4/6,7@恵比寿LIQUIDROOMの3daysを行う。
“黒崎ジュンコ”としてソロ活動を始める。
ヴォイストレーナーとしても活動を開始。
ドレミ出版『月刊Songs』2011年11月号から隔月連載スタート。
11月自身初のソロアルバム『Jerish』を発売。
高木奏子 TAKAGI KANAKO
シンガー singer / ボイストレーナー vocal trainer
小さい頃から歌うことが大好きで、歌いながら生きていくんだ~、と、なんとなく心のどこかで思ってはいたが、どうしたら、歌って生きていけるのかわからず、敷かれたレール(?)の上を歩くこと20年。
一橋大学在学中、難病を発症したのをきっかけに、一念発起して歌を志す。
ほどなくしてダブルスクールでボーカルスクールに入学したのを皮切りに、何人かのトレーナーのレッスンを受けたのち、気持ちが高じて、レッスンのため渡米。
7年間のひきこもり発声オタク生活を経て(笑)、病気の克服を機にオーディションを受けはじめ、2007年6月発売のオムニバスカバーアルバム『On/Off seven colors』(テイチクエンタテイメント)のボーカリストに選ばれる。
その後も、2008年には『On/Off3rd season』や『Jazz Rhythm』などコンピレーションに次々と参加。
自身の作品としては2007年7月にオリジナル1stミニアルバム『ハピネス』を発表。
現在は都内を中心にマイペースなライブ活動を続けている。
ボイストレーナーとしては、2009年1月に、マイケル・ジャクソンやスティービー・ワンダーのボーカルコーチであるセス・リグス氏発案のアメリカ特許発声メソッドSpeech Level Singing公認ライセンスを取得。
東京と京都で定期的にレッスンを行っている。
セス氏からも高く評価され、今後の活動を期待されている。
越路ようこ
横浜は野毛でスナック吹雪を経営。越路家の長女であり、幼少の頃は和子と雪路のおしめを替えていた。きわめて心優しい女なのである。しかし、警察運が非常に悪い。職務質問を受けるのが得意。慣れない東京の街では、何故か英語で職務質問を受けたり、すぐに自転車泥棒の疑いをかけられ一日に3度も職務質問を受け、なかなか目的地にたどり着けない事もしばしば。落とし物の財布を警察に届けるものの、何故か指紋をとられたりする。「まったく不条理な世の中だ。」よう子談。酒焼けしたその声と黒人並みの肌の色は、季節感を全く感じさせない。「唄と笑いの花束を」を合い言葉に全国に愛の花束を届けている 「唄と笑いの花束を」を合い言葉に全国に愛の花束を届けている。
DJ SAMATA(GRASS ROOTS)
2012/01/31(TUE)@横浜B.B.STREET
いきててよかったpresents
Bay Sounds Shuffle New year special
『DUO』
高木奏子
黒崎ジュンコ
Keyco
越路よう子
DJ:SAMATA
OPEN/START/18:30
ADV/\2500+1D DOOR/\2800+1D
Info
横浜B.B.STREET
TEL:045-681-8202
http://www.bbstreet.com/